■
上の写真は、1978年(昭和53年)月刊平凡に載っていた写真である。 岩崎宏美と渡辺真知子さんが、仲良く写っています。
(渡辺真知子さんは、岩崎宏美より2歳年上)
岩崎宏美は、歌唱力抜群で魅力があり、私が16歳の頃フアンでしたし、かなり好きでした。 しかし その2年後、渡辺真知子さんがデビューすると、真知子さんの大ファンになり、岩崎宏美は、あまり好きではなくなりました。
どちらも 素晴らしい歌手ですが、私自身は渡辺真知子さんの方がはるかに好きでした。まぁ~比率で言えば、8:2かな。
岩崎宏美は、私と年齢はだいたい同じですが、真知子さんは少し離れています。 後になって、年上の女性を好きになるなんて少し変ですよね。
上の画像は、1980年2月 NHK番組「レッゴーヤング」で、「唇よ熱く君を語れ」を歌った時
渡辺真知子さん 当時23歳
永遠の憧れの人
渡辺真知子さんが、歌手として売れていたのは2年と少しで短期間です。紅白歌合戦も2回しか出ていません。しかし、私は歌手の中で渡辺真知子さんが一番印象に残っています。
私は若い頃 真知子さんの大ファンで、結婚するなら真知子さんみたいな人としたいと
思っていました。憧れのお姉さんでした。
渡辺真知子さん 若い頃の画像・動画は、40年以上も昔のことであり、私も少年から中高年になりました。しかし、真知子さんの若い頃の動画は、中高年になった今でも素敵に見える。
まさに永遠の憧れの人
最優秀新人賞
上の写真は、1978年(昭和53年)12月31日 帝国劇場で行われた
第20回日本レコード大賞で、渡辺真知子さんが最優秀新人賞を受賞した時のものである。
ちなみに、この年の総合司会は高橋圭三(10回目、2002年83歳で没) 司会進行は、「ザ・ベストテン 」の久米宏・黒柳徹子 (2年連続) 注 (この年は、レコード大賞20年を記念して、歴代レコード大賞受賞歌手
が10組出演している。)
新人賞にノミネートされたのは、以下の5人。
石野真子 (失恋記念日)
さとう宗幸 (青葉城恋唄)
渋谷哲平 (Deepディープ)
中原理恵 (東京ららばい)
渡辺真知子 (かもめが翔んだ日)
(注) このメンバーでは、さとう宗幸が一番年長で29歳(当時子供がいた) 渡辺真知子さんは、二番目の22歳でした。中原理恵は、20歳 渋谷哲平と石野真子は、17歳でした。
計5人による 最優秀新人賞争い
まず石野真子ですが、とても可愛いのですが、まだ若いせいか歌や身ぶりが幼く感じられます。
これでは、最優秀新人賞はとても無理でしょう。
他に1961年(昭和36年)「君恋し」で、第3回レコード大賞を受賞したフランク永井は、その年に生まれた石野真子に、
「私がレコード大賞を頂いた時に生まれたということは、私はその分、年を取っているわけで、とても悔しいけど若いって良いですね」とコメントしました。 私は石野真子と同年齢なので、「若いって良いですね」のコメントは、当時を思い出して懐かしく感じます。
次はさとう宗幸ですが、この人は渡辺真知子さんと同じく自分で作詞・作曲を手がけていて、歌も大変うまくて最優秀新人賞の候補だと思います。
仙台の街の美しい情景と切ない恋情を表した「青葉城恋唄」は素晴らしいと思います。
実際、客席にいたブルー・コメッツの三原さんが、(1967年にブルー・シャトウでレコード大賞受賞) 青葉城恋唄を「素晴らしい曲ですね!」とコメントしました。
次は渋谷哲平ですが、Deep(ディープ)は、かなりアクションの激しい歌です。 客席の中にいた菅原洋一は、(1970年今日でお別れで、レコード大賞受賞) 「僕の場合、息切れしてしまう、素晴らしいなぁ~」とのコメント 。 アクションは、たしかに良いのですが、歌があまり上手ではなくて、Deepも名曲とは言えないので、やはり最優秀新人賞は無理と思います。 ちなみに、渋谷哲平が歌い終わった後、画面に後に大関となる若島津、元巨人のヘッドコーチだった牧野茂が映りました。
4番目は中原理恵ですが、彼女は新人らしからぬ大人びた美貌・容姿で、東京ららばいは、オリコンチャート最高9位のヒット曲となりました。
中原理恵は、歌唱力・スタイルは合格点ですが、今一つ決め手に欠けるような気がします。
最優秀新人賞には、少し無理と言ったところでしょうか。
実際に、客席の森進一(1974年襟裳岬でレコード大賞受賞)は、このように言っています。
「こうやって選ばれたのだから、もしダメでも来年があるからと言う気持ちで、新人賞はないですけど」
森進一も、最優秀新人賞は無理と思っていたのでしょうね。
最後は、このブログの主役である渡辺真知子さんです。
真知子さんは、この年(1978年)の新人賞を10個も独り占めしただけあって、実力は抜群です。
歌唱力・作詞・作曲能力・アイドル並みの容姿と、すべてに恵まれた真知子さんは、さとう宗幸と並ぶ 最優秀新人賞候補だと思います。(この2人は甲乙つけがたい)
客席にいた、都はるみ(1976年北の宿からでレコード大賞受賞)も
「この歌大好きなんです、どうぞ取ってください」とコメントしました。
都はるみも、真知子さんの実力を認めていたのでしょうね。
私自身もかもめが翔んだ日は、素晴らしい曲だと思います。
最優秀新人賞決定
その後、審査会場で第1次投票が行われた。
その結果、渡辺真知子・さとう宗幸、両名による決選投票という形で、他の3名は切られます。
(注)この年の選考方式は、47人による投票数である。
他に 中原理恵1票 石野真子・渋谷哲平は0票 学級委員の選挙みたいな、この決め方だと一票も入らない歌手は気の毒。
最終決選
渡辺真知子 (かもめが翔んだ日)VSさとう宗幸(青葉城恋唄)
この2人は実力伯仲で、接戦状態でしたが、やがて決着がつきます。
さとう宗幸も健闘して、かなり票を集めたが(19票)
渡辺真知子さんの方が、わずかにまさっていた。(27票)
ちなみに私は、さとう宗幸が予想以上に票を伸ばすので「どんでん返し」が起きるのではと ヒヤヒヤしながら見てました。 真知子さんの受賞が決まった時、さとう宗幸が笑顔で握手して とっても 良かった(真知子さんは、石野真子には握手を忘れている 気が動転していたのでしょう。)
最優秀新人賞に輝いた 真知子さんが、泣きながら 「フアンの皆様、取りました!」 (真知子さんの涙は素晴らしい)
あれから40年以上の歳月が流れたが、はっきりと記憶している。
それから表彰式が行われ、真知子さんは日本レコード大賞運営委員長の
服部良一(1993年85歳で没)から、表彰状と盾を受け取り、東京放送から
ブロンズ像を受け取りました。
司会進行役の黒柳徹子に、「このブロンズ像は10kgありますけど、その重みはどうですか?」と質問された時、真知子さんは「いいです!」と答えています。
その後、再び「カモメが翔んだ日」を歌うことになりました。
それまで、感極まって泣いていた真知子さんでしたが、イントロが
流れた瞬間、顔の表情が変わって歌唱スイッチが入り、平然と
「かもめが翔んだ日」を歌う真知子さんは、一流のプロです。
真知子さんの歌は情景が浮かぶし、表現力が素晴らしい。
「カモメが翔んだ日」を歌い終わった後、真知子さんは顔全体的に笑みを浮かべて、
とても気持ちいいです。
この頃の真知子さん(当時22歳)、本当に可愛くて素敵だった。
最後に、総合司会 の高橋圭三 の後ろで、真知子さんはラジオのインタビューを受けました。 真知子さんは、大変嬉しそうで ラジオ局の質問にも ニコニコと微笑んでいます。
この番組内だったかどうか はっきり記憶にありませんが、私が非常に印象に残るシーンがあります。 それは、最優秀新人賞を受賞した事を、真知子さんのお母さんに電話で報告した事です。
その時の会話
真知子さんが、「お母さん 私、取りました」と報告すると、お母さんが
「あ~、ま~ちゃん 良かったね」と言ったのを
覚えています。
私も当時若くて(18歳)、感動しました。 この頃は歌謡番組全盛の時代だったから、レコード大賞や歌謡大賞に 至るまでドラマがありました。
第20回日本レコード大賞の後、放送されたNHK第29回紅白歌合戦では、
さとう宗幸・中原理恵・渡辺真知子、この3人 が初出場
石野真子は翌年(1979年)の紅白歌合戦に、初出場
レコード大賞の記念撮影 1978年12月31日帝国劇場
前列左から一番目が、渡辺真知子さん。
お母さんと笑顔で記念撮影 1978年
vお母さんは2006年に、亡くなっています。
渡辺真知子の代表曲
真知子さんの代表曲と言えば、「迷い道」 「かもめが翔んだ日」 「ブルー」
「唇よ熱く君を語れ」 この4曲だと一般的に言われています。
私自身も、この4曲が印象に残っています。
1978年にデビューすると、迷い道・かもめが翔んだ日・ブルー・
と、たちまち3曲連続ヒットを飛ばします。(私も、レコード買いました! )
しかし、翌年(1979年)になると少し失速します。これは、ファンから曲が飽きられたのではないかと思います。
そこで1980年になると、真知子さんはイメージチェンジします。それまで暗い
失恋ソングだったのが、明るくて 躍動感のある曲に変わります。
それが、唇よ熱く君を語れです。
この曲はヒットし、音楽番組『ザ・ベストテン』には、1980年3月13日に10位で初登場 その後、3週連続2位を獲得しました。他に、カネボウの口紅のCMソングにもなりました。
しかし、これが真知子さんの最後のヒット曲であり、以後は下降線をたどり、
(この年の、紅白歌合戦にも落選) あまり売れなくなりました。
迷い道 チャート最高順位
かもめが翔んだ日 チャート最高順位
ブルー チャート最高順位
唇よ熱く君を語れ チャート最高順位
1978年4月 夜のヒットスタジオで、迷い道を歌う時の動画
デビュー曲 迷い道 作詞・作曲 渡辺真知子
B面 愛情パズル
迷い道は、1977年(昭和52年)11月1日にCBS・ソニーより発売。
80万枚を売り上げる大ヒット曲となり、この曲で1978年12月31日の第29回NHK紅白歌合戦の初出場を果たした。下の画像は、1978年4月16日ヤンヤン歌うスタジオで迷い道を歌った時
下の画像は、迷い道のレコードジャケットです。
第2のシングル曲 かもめが翔んだ日
B面 なのにあいつ
作詞 伊藤アキラ 作曲 渡辺真知子
1978年(昭和53年)4月21日に、CBS・ソニーより発売。
「ハーバーライトが朝日に変わる その時一羽のかもめが翔んだ」 印象的な
歌い出しで大ヒット、デビュー曲「迷い道」に及ばなかったものの
46万枚を売り上げ、この曲で1978年(昭和53年)12月31日に行われた、
第20回日本レコード大賞 最優秀新人賞を受賞した。
知名度が、一番高い曲
渡辺真知子さんの曲で一番有名なのは、セカンドシングルの「かもめが翔んだ日」で、この歌なくしては1978年頃の歌謡界を語れないほどの不朽の名曲。
この曲は、真知子さんのトレードマークとして使われることが多く、個人事務所や
ウエブサイト、公式ファンクラブの名称にも「かもめ」の名が使われている。
私の友人も、真知子さんの他の曲を知らなくても「かもめが翔んだ日」だけは
知っていました。
この曲の作詞は、真知子さんではなく 伊藤アキラで(2021年5月 80歳で没)、
こんなエピソードがあります。
一番最初は、「ハーバーライトが朝日に変わる その時一羽のかもめが翔んだ」で
始まる冒頭部分の歌詞はなく、「少しインパクトに欠けるので、幕開きの詩を入れろ」とディレクターの一声により、伊藤アキラは冒頭2行の詩を追加しました。
確かに冒頭2行の詩がなくては、「かもめが翔んだ日」は大ヒットしなかったし、今日まで語り継がれる、名曲にはならなかったでしょう。
歌詞の中に具体的な地名などは登場しませんが、真知 子さん自身は、
出身地である 神奈川県横須賀市の観音崎をイメージすることが多いと
言います。
2008年11月21日からは、真知子さんの地元である横須賀市内の
京浜急行電鉄堀ノ内駅の接近メロディとして使用されています。
(注)
「かもめが翔んだ日」は試聴会の時点から反響が大きく、発売前のソニーでの試聴会では様々な曲が流れる中でこの曲には拍手が起き、試聴会としては異例の要望によりアンコールが行われた。これらのことにより、周囲の関係者は発売前からヒット曲となることを確信していたという。 1978年夏 ザ・ベストテン の動画
下の画像は、かもめが翔んだ日のレコードジャケットです
第3のシングル曲 ブルー
作詞・作曲 渡辺真知子 B面 光るメロディ
1978年8月21日 CBSソニーレコードより発売 レコード売上は、33.3万枚
真知子さんは、「自分の好きなように作っていいよ」と言われて作った曲なので、
(私にとって、とても可愛い曲)、と語っている。
この曲で、第9回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞。
下の画像は、ブルーのレコードジャケットです
下の画像は、1978年 ブルーを歌っていた頃の写真
当時は、非常に美しかったし歌唱力も優れ、真知子さんが一番輝いていた時期だった。(当時22歳)
曲名のブルーに合わせて、あざやかな 青い服を着ています。
上の画像は、
1978年発売 月刊誌「明星」の付録から。
"背中合わせのブルー" と、歌っている場面。第4のシングル曲 たとえばたとえば
B面 港のフェスタ
1979年(昭和54年)1月21日、CBS・ソニーから発売された。
累計売り上げは、11.8万枚。
この曲で、第30回NHK紅白歌合戦に、2年連続の出場を果たした
下の画像は、たとえばたとえばのレコードジャケットです
第5のシングル曲 別れてそして
作詞・作曲 渡辺真知子 B面うみなり
3枚目のアルバム「遠く離れて」発売の1月前、1979年(昭和54年)5月に先行発売された5枚目のシングル。累計売り上げは、5.4万枚
真知子さん本人の作詞・作曲のシングルは、「迷い道」「ブルー」に次ぐ3作目。
注 「かもめが翔んだ日」「たとえばたとえば」は、作曲のみ真知子さん
この歌は あまり知られていなくて、ライブでは ほとんど聞くことができない。
私は、むしろB面の「うみなり」の方が良かったと思います。
下の画像は、別れてそしてのレコードジャケットです
「別れてそして」のB面 「うみなり」
第6のシングル曲 季節の翳りに
作詞 伊藤アキラ 作曲 渡辺真知子
B面ロンリー・レイル・ウェイ
1979年(昭和54年)9月発売 累計売り上げは、2.8万枚
私自身は、とても良い曲だと思うのですが 何故かあまり売れませんでした。
下の画像は、季節の翳りにのレコードジャケットです
第7のシングル曲 唇よ熱く君を語れ
作詞 東海林良 作曲渡辺真知子
B面 海辺の昼下り
1980年(昭和55年)1月21日、CBS・ソニーより発売 累計売り上げは、42.6万枚
前年は少し失速気味だった(1年目と比べて)真知子さんは、久しぶりにヒットを
飛ばします。
TBS系の音楽番組「ザ・ベストテン」では、3週連続2位を獲得し、更には
カネボウ化粧品(口紅)のCMソングになりました。
真知子さんは、7曲目で初めて明るい曲(1~6曲目は全て失恋を題材にした曲)で、
本来の自分を出すことが出来て嬉しかった と語っています。
私も真知子さんの曲では、唇よ熱く君を語れが一番好きです。
明るくて元気が出てくる、良い曲だと思います。
下の画像は、唇よ熱く君を語れのレコードジャケットです
第8のシングル曲 ホールドミータイト
作詞・作曲 渡辺真知子 B面サマーナイト
1980年5月発売 累計売り上げは、8.0万枚
"唇よ熱く君を語れ" に続く明るい曲で、夏を連想させます。
この曲は、あまりヒットしなかったし、私もこの曲は、好きではありません。
ところが2020年夏に、YouTubeでこの曲を公開すると、1年もたたないうちに
アクセス回数が、20万回を超えています。(コメント数も多い)
これは、ちょっと不思議ですね。
当時あまり売れなかったのに、どうして40年後の今に人気があるのか?
もしかしたら、1980年の人達と2020年の人達とでは、感覚が違っているのかも知れません。
この曲を境に下降線になり、大ヒット曲は二度とありませんでした。
唇よ熱く君を語れが、真知子さんのピークでした。
下の画像は、ホールドミータイトのレコードジャケットです
デビューアルバム 海につれていって
1978年5月発売、渡辺真知子さん初めてのLPレコード。「海につれていって」
横須賀の出身ということもあり、このテーマは一枚をとおして海の香がする。
本当に このアルバムは、ハズレ曲なし。
様々な愛のかたちを、切なく表現した名作。
デビューアルバムで、この完成度(ほとんどが真知子さんによる作詞・作曲)
1 メドレー海のテーマ/海につれていって
2 かもめが翔んだ日
3 片っぽ耳飾り
4 愛情パズル
5 私の展覧会
6 迷い道
7 なのにあいつ
8 今は泣かせて (私は、この歌が一番良いと思います)
9 朝のメニュー
10 あなたの歌
2枚目のアルバム フォグ・ランプ
1978年(昭和53年)11月1日に、リリースされた真知子さんの二枚目のアルバム
「フォグ・ランプ」にはブルーを含む全11曲収録されており、真知子さんは10曲の作曲をしています。
作詞は3曲を伊藤アキラが書いており、残り8曲が真知子さんの作詞です。
アルバム名と同じ「フォグ・ランプ」は名曲
一枚目(海につれていって)、三枚目(遠く離れて)と比べると少し影の雰囲気が
ある印象なアルバム。
1. Overture(インストゥルメンタル (この曲だけ 船山基紀による作曲)
2. 今夜は踊って
3. ブルー
4. 赤い服
5. 今はどのあたり
6. フォグ・ランプ
7. 予告篇
8. 光るメロディー
9. 少しはまだ悲しいけれど
10. 黒い天使
11. ミッド・ナイト
3枚目のアルバム 遠く離れて
「遠く離れて」は、1979年6月21日にリリースされた 渡辺真知子さんの
3枚目のアルバム。
4枚目のシングル「たとえばたとえば」、5枚目のシングル「別れてそして」を
含む全11曲を収録している。
やはりハズレ曲なし。
アルバム全体にトータル性をもたせ、明るい曲から切ない曲まで表現している。
私自身としては、「自然の中に」と「異国にて」の真知子さんの声がとても心地
良いです。
1 自然の中に
2 うみなり
3 さよならに愛をこめて
4 幸せラプソディー
5 たとえばたとえば
6 南の国の恋人達
7 別れてそして
8 港のフエスタ
9 空港
10 異国にて
11 ワインとあなたと